Essey

渡辺満里奈Essey
2018/1/23
「麗しの島、再び」

 年末年始をのんびり過ごし、帰国後程なくして、「有吉弘行のダレトク!?」のロケのため台湾 に行きました。実に4年振り。足繁く通っていた2000年の初め頃に比べたら、随分と久しぶ りの訪台となってしまいました。

 1月6日 台北 雨。気温は17度。
 久しぶりの台湾はあいにくの雨。それでも長袖のワンピースにセーターを1枚羽織るだけで、十 分なくらい気温は穏やかです。寒い日本から降り立つと、体と心が緩みます。
 3時間でどれだけ回れるか。楽しめるか。が、今回のロケのテーマ。ありったけの知っているお 店を紹介しています。随分と変わったところと、まったく変わらずそのままの姿のところ。移り変 わりは激しいかもしれないけど、どこか温かさを残す街、というところは変わっていません。


 懐かしい人にも会ったりしながら慌ただしくロケを終えた後、スタッフの皆さんと食事を共に し、紹興酒をしこたま飲み(仕事のあとのお酒ってなんでこんなに美味しいのでしょうか!)、 ホテルの部屋に戻ったらそのまま寝てしまいました。明日の朝食を楽しみにしながら。(翌朝は しっかり寝違えをおこし、息も絶え絶えでしたが)

 台湾の食事は土地柄と同じくとても穏やかな味で、子どもも楽しめます。何を食べても美味し いのですが、やはり朝食はホテルではなく外で食べるに限る!町中に、お粥や豆漿(とうしょ う)、焼餅(しゃおぴん)などを食べさせてくれる小さなお店が点在していて、どこも活気があり 地元の空気を味わえます。そして何と言っても、お・い・し・い!
 朝9時にホテルを出発して、料理研究家・内田真美さんの著作「私的台北好味帖」を片手にお 店を探しました。最初のお店では焼餅が全て売り切れていて1時間待てば食べられると言われ断 念。日曜日とはいえ、やはり9時は遅かったか。続いてたどり着いた「五湖豆漿(ウーフードウ ジアン)」。言葉はわからなくとも、食べたい!という気持ちは伝わります。お店の人も親切。 台湾の人たちはとても温かく優しいのです。メニューの写真を指差し、小籠包、ふかふか熱々の 饅頭に卵焼きを挟んだサンドイッチのようなもの、塩味の豆漿に油條を注文。変わらない懐かし の味。おぼろ豆腐のようになった豆漿に揚げたての油條を入れて食べると、豆漿の旨味をたっぷ りすって美味。いくらでも食べられてしまいます。ふかしたての饅頭も、それにはさんだ卵焼きも 極めてシンプルなのに、とても丁寧な味がします。ああ、台湾だ…。懐かしい友達に再会したよ うな喜びと、幸福を感じたのでした。


 じんわりと心を滲ませる雨は降り続きました。一泊二日。あっという間の旅だったけど、久し ぶりの台湾は、やっぱり人懐こい笑顔で旅行者を迎えてくれるじんわりあたたかい街でした。






2018/1/1
「2018年 はじまりました」

 みなさま 明けまして おめでとうございます。

晴れやかな人も、そうでない人も、いつもと変わらない人も、新しい年に突入です。
何思う、2018年!

昨年を振り返ってみると、これはもう「感謝」の年で決まりです。
30周年記念のベストアルバムを発売し、長く活動してこられたのは多くの方々に支えられてきたおかげだと改めて感じる日々でした。温かい気持ちは体に蓄えられて、安心や自信、優しさやひらめきなどを呼ぶ素敵な力を持つようです。
今年は私も、そんな温かい気持ちを返せる人間になりたいと心から思います。

私がもらった目に見えないたくさんのものを新しい力に変えて、2018年、ますます輝く年にしたいです。

本年もどうぞよろしくお願いいたします!

2018年 元旦






2017/12/18
「迷いと音楽」

 たぶん、メディアなどで見てくださっている方達が思う渡辺満里奈のイメージと、私が思っている自分というのはずいぶんと違っているという感じがずっとしている。もちろん色んな見方をしていただく仕事ではあるし、すべてイメージ通りというわけにはいかないのもわかる。

 それにしても、なのです。

「穏やかでおしゃれな日々を送っていそう」
「きちんとしていそう」
「子どもに怒らなさそう」
などなど。ありがたいことを言っていただくことが多々ある。

 いやいやいや。そんなこと全然ないのですよ。物忘れはひどく、よく忘れ物はするし(本当によくするので家族に呆れられているほど)、隙あらば色んなことサボりたいし、子どもにはついガミガミ言ってしまいます。

 つい先日も、日常茶飯事のガミガミが始まりました。

 塾などの友達がいない集団と行動するのが苦手だという長男が、やっとのこと行き始めた英語塾。足の怪我のためお休みした日の振替授業を申し込もうと相談したときのことでした。いつもと違う曜日は友達がいないから嫌だとグズグズ言いはじめる息子。最初は無視していたものの、あまりにも長いことグズグズいうものだから堪忍袋の尾が切れた(私の耐性にも問題あり)。

「なんのために勉強してると思ってるの!友達がいないとできないとか、知らない人と嫌だとかいってるんだったらやめちゃいなさい!これから大人になるほどそういう機会は増えていくけど、それが嫌だというならどんなことからも逃げればいいよ。そういう生き方もあるよ!勉強できる環境を当たり前と思ってるからそんなことが言えるんだよ!クドクドクドクド・・・」

 あまりに腹が立ったのですが、奮起してほしいと願いを込めつつ怒り、ほかの部屋にこもってみた。そこで気を鎮めて考える。自分は勉強できることに感謝してたか?そんなこと考えてもいな かったくせに、子どもには偉そうなことをいう。でも息子には社会での役割を見つけて欲しい。
人の役に立つ人になってほしい、欲をいえば夢を追ってそれを叶えてほしいと思うと、今できることをやらせてあげたいと悶々と考え、自分の親もこんな気持ちだったのかぁと、今になって自分が子どもだったときのことを振り返り反省したりする。そんな毎日。

 結局この場を治めないとと思ったであろう息子が謝り、何に対して謝っているのか問いただして本当に悪いと思ったら謝りなさいとまたクドクド言った後、
「勉強をすることはとても大切だけど、でもママが言っていることが必ずしも正解なわけではないんだよ。もしママの言うことには賛成できないと思ったときには、その意志と覚悟を持って自分の思いを貫きなよ。それまではパパもママも迷いながらも君にとって最善を探してる。一緒に頑張っていこうよ」
と、自信のなさと迷いを情けなく思って流れる涙と共に訴えた。大人は君が思うほど大人ではないんだ。

 1年前だったら息子も共に泣いていただろうけど、彼はもう泣かない。でも(今の所は)胸に届いてると信じたいな。

 昨年の夏は、娘の子育てでストレスを抱えていた。思う通りにならない毎日に、思い通りにしようなんていう考えが傲慢だと葛藤しつつ、娘が幼稚園に行った後ひとり部屋のドアをしめ、松本隆さんの「風街図鑑」を爆音でかけ、もうティーンではないけど原田真二さんの「てぃーんず ぶるーす」を大声で歌い、大瀧詠一さんの「1969年のドラッグレース」、松田聖子さんの「瞳はダイアモンド」を歌い、気持ちは徐々におさまっていったのでした。これでストレス発散することを覚えてからは、歌おうと思うだけで少し楽しい気持ちになれました。単純なものです。

音楽は救いです。

メロディと歌詞とその曲が持つ空気は、一瞬にしてモヤモヤを一掃してくれる。
すごい力だ。

 そして、穏やかな時にはakikoの「Elemental Harmony」を聴いて癒されました。流れる清い水のような歌声に、心が洗われた。

だからといって怒らなくなるわけではないんだけど。
でも、ね。この繰り返しで日々は過ぎていくのです。
それが実は楽しかったりするのです。






2017/11/18
「 近頃考えていたこと
    と、ご挨拶

「ママ、ちょっと来てー」
「ママ、今日の夕飯なに?」
「ママ、宿題見てー」

私は何かと求められている。今までに経験したことのない完全なモテキだと思う。
そして当たり前のように子ども達は私を頼りきっている。
でも、台所に立ち、時々ふと思う。

「ううむ・・私、よくこんなことができてるなぁ・・・」と。


独身のとき、私は私のことだけしか考えていなかったし、だいたい自分のことだけを考えていればよかったように思う。
ご飯は外に好きなものを食べにいけばよかったし、好きな時に寝て起きて、自由に好きな場所へ旅行にだって行けた。つまり誰に気兼ねなく好きに生きていたわけで。
それが結婚し、子どもが生まれ、私は私だけのものではなくなった。
昼夜を問わず、求められたら応える。
求められて、応える。
求められて、応える。
以下繰り返し。

ほとんどの日は家でご飯を作る(面倒でも)。
朝は5時に起きる(昔みたいにたくさん眠れないから苦ではないけど)。
旅行は子ども達が楽しめるところで(ヨーロッパはとりあえずお預け)。
毎日毎日、宿題をさせてお風呂に入れて、たくさんの話をして本を読んで寝かしつける、なんて生活をする日が来るとは思ってもいなかったし、好きに生きていた時のことを考えると、まあよくこんなことができるようになったものだな、と遠い目をして、時に自分を褒めてあげたくなる(かなり甘い採点で)。


じゃあ私は、不自由になったか?
いや。もちろん、そうではない。

結婚して私は、自分のどうしようもなく欠けている部分を埋めてもらった。
子どもが生まれて、あふれるほどの愛をもらい(寝起きだろうが、お風呂上りだろうが、ママ大好き、愛してるといってくれるのは子どもたちくらいだろう)、人として成長させてもらった。
ままならないこともたくさんあるけど、毎日笑顔をもらっている。
守るものができ、歳を重ね、むしろ気持ちは自由になった感じだ。
結局私はいつも与えられてばかりだ。
家族だけではなく、関わってくれるたくさんの人たちから与えてもらっている。


本日11月18日、今年も誕生日を迎えました。
「与えられ人生」も47年になります。
今の私を発信できる場所にしたく、HPも新しくいたしました。
簡潔な言葉で「今」を共有できるSNSもとても魅力的ではありますが、少し立ち止まって日々のことを考え、言葉を綴りたいなと思い、ここでは普段あまりじっくり話すことのない、子育てや家族のこと、仕事のこと、好きなもののことなどについて書いていきたいなと思っています。

与えられ人生もうっかりしていると50年になってしまうので、お返ししていかないとという気持ちを込めて。あ、そんな大そうなものでもないのですが。

よろしかったら、時々お寄りください。